2014年10月9日木曜日

〈報告〉レイバーネットTV75号「特集「慰安婦問題」歴史の書き換えはダメ! 」2014/10/8 証拠で示す「慰安婦問題」の真実

〈報告〉レイバーネットTV75号「特集「慰安婦問題」歴史の書き換えはダメ! 」2014/10/8

 証拠で示す「慰安婦問題」の真実

山口正紀さんの巧みな聞き出しと渡辺美奈さんによる「慰安婦問題」は、彼女の悲しみを伴った怒りで始まった。以下報告です。
 
「慰安婦問題」はなかったとする風潮に抗う
左から山口正紀氏・渡辺美奈氏・土屋トカチ氏
 まず、朝日の吉田清治に関するバッシングは、慰安婦問題をなかったものにしようとする力が加わっているということが検証された。
①    「慰安婦問題」が世界に広がったのは、朝日新聞の吉田清治報道による
②    吉田清治の証言が否定されたので、「強制連行」はなかった。
③    「強制連行」がなかったので、慰安婦にされた女性に対しては、心は痛むが日本政府には責任はない。
という三段論法で、河野談話を骨抜きにしようとしている。山田宏 (次世代の党)が「謝罪の必要はない。何故するのか」といっているのを見て怒りがフツフツと湧いてきたと、全身に怒りを顕にして話しだしたのは、Wam(女たちの戦争と平和資料館事務局長)の渡辺美奈さん。
 この3点を、全て証拠になる資料を示しつつ、反論していった。

パネル左上 最初に名乗り出たキムハクスンさん
その後各国で採取に名乗り出た人たち
  世界に広がったのは、1991年金学順(キムハクスン)さんが、名乗り出たから。それが世界に報道され、彼女を一人にしてはならないと、台湾、中国、オランダ、マレーシア、フィリピンなどの慰安婦だった方たちが名乗り出たことで、世界に広まった。世界地図に示された慰安所の図を示しながら、「それなのに、各大手新聞、週刊誌などが、まるで慰安所はなかったように報道する」と、怒りで涙ぐんで訴えた。Wamでは、国会図書館で、各新聞社、雑誌社の「慰安婦」に関する記事を調べ、検証して、近いうちに発表すると力を込める。わたしも思わず、強く頷いた。

 吉田証言の重要性は、どうだったか。それは、慰安婦問題の国連人権委員会に報告された「クマラスワミ報告」にもほんの少ししか記述されていないと視覚的に示し、内容も重要視していない。安倍総理が、国際問題にしたといい、その証拠として、1次安倍政権が2007年に誕生して以降、世界からの批判が殺到しているという事実も、表で提示。
 では、国の関与はどうだったか。これも次々実物資料で示す。
 
 今、「強制連行」がなかった(吉田証言が否定されたのた)のだから、「河野談話」を葬ろう(骨抜き)とする動きがあるが、「慰安婦問題」と吉田証言否定とは、全く結びつくものではないと。河野談話の中にも、「強制連行」という言葉はひとつもないと、これもまた一つ一つ証拠を示しながらの反論は、説得力があった。

 それを聞きながら、こちらもどの言葉もすとんと落ちてきたし、今のいわゆる「ジャーナリスト」たちの質の悪さ、特に自社がかつてどんな報道をしたかを調べもせず、朝日新聞一社をバッシングしていくことへの不快感を超えて国民に対する影響を思うと、危惧を改めて強くした。

 そして、彼ら「慰安婦問題」をなかったことにしたい輩、特に安倍一味に聞きたい。

「そうして、今進めている戦争の出来る国になって、戦争になったら、慰安所を作るのですか?作らないのですか」と。     WamのHPは、 http://wam-peace.org/

 乱鬼龍の川柳は、
 
歴史消し慰安婦を消し戦さ道






以下:短縮版(FB版)

「特集「慰安婦問題」歴史の書き換えはダメ! 」2014/10/8
 再び戦争になったら「慰安所」を作るのですか?作らないのですか?
「慰安婦問題」の真実


レイバーネットTVは、今回も鋭く切り込んだ。
今私の大きな関心事の一つ「慰安婦問題」である。
Wamの事務局長・渡辺美奈さんは、すべてのこの問題を「なきもの」にしたい人たちの言っていることを、証拠を突きつけながら反論していく。
怒りに震え、涙ぐみ、しかし微塵も揺るがずに事実を示しながら覆していく姿は、カッコよかった。

歯切れよく出されていく資料は、環太平洋の慰安所に関する地図であったり、慰安婦にされた被害者の、その国で始めた名乗った方の写真だったり、国連人権委員会に報告された「クマラスワミ報告」の吉田清治証言を扱った部分が、全体の本の一部に過ぎないことだったり、胸のすく思いだった。これこそ、彼らに見てもらいたい。

見終わっての私の思いは、ただ一つ、彼ら「慰安婦問題」をなかったことにしたい輩、特に安倍一味に聞きたい。
「そうして、今進めている戦争の出来る国になって、戦争になったら、慰安所を作るのですか?作らないのですか」と。

 乱鬼龍の川柳は、

 歴史消し慰安婦を消し戦さ道

Wam(女たちの戦争と平和資料館事務局長)HP
http://wam-peace.org/

レイバーネットTV視聴アドレスは
http://www.labornetjp.org/tv

報告 レイバーネットTV75号 今香港で何が起きているのか?


「今香港で何が起きているのか?」 2014/10/8
香港で起こっている民主化運動の世代交代

 9月28日から学生を中心に行われている、選挙制度に端を発したオキュパイ運動の解説を雨傘太郎さんがしてくださる。

スタジオで投げられた催涙弾(白いビニール紐)
 現場の映像のあと、スタジオで実際に催涙弾が投げられた。それを傘で受け止めた雨傘さんは、香港の「オキュパイセントラル」は、選挙制度の改革を迫ったと話し始める。

祖国に返還された暁には、香港の最高責任者は国民一人一票で選びたいというのが長年の要求だったのにそれが守られなかったことに対するアクションだということだ。
というのは、政府があらかじめ選んだ人を市民が投票するというもので、その改善要求である。

大学1年生(17歳)のリダーのもと、非暴力を射貫き、香港政府も彼らと正式に交渉するのだが、これは突然始まったことではないとのこと。
この運動は、1年前から議論されてきたが、8月末に中央政府の選挙制度の発表により、植民地時代らの運動家は、実力運動に踏み切れなかったが、学生が立ち上がった。

そのスローガンが、「授業ボイコットするが、学びはやめない」と、学生の呼びかけに答えて、民間人による公開の自主講座がたくさん開かれたというのにも驚く。
授業ボイコットの最終日(26日から27日にかけて)に、本庁ビルを占拠したが、それには労働者も加わっり、大きな盛り上がりがあったという。

本当の普通選挙をとのスローガン
  不服従の闘争を諦めないと、今も3カ所でオキュパイも、公開講座も続けられているそうだ。自分たちの政府は、自分たちで選ぶということをスローガンに上げているが、これは台湾の「ひまわり革命」とも通じ、若者に政治、生活を取り戻すということであるという。

今回の運動の大きな特徴は、民主化運動の主役が、弁護士や教授などの知識人が中心から世代交代したことだということで、この運動の広がりが、どう大陸の中央政府に影響していくのか、目が離せない。

雨傘太郎さんは、香港の学生たちの上げているスローガンを示しながら、その意味の解説をしてくださってわかりやすかった。



「Hello! Mr. Democracy  徳先生、ニン好! 香港の民主化闘争を支持します! 東京 TOKYO」と書いてSNSで拡散して欲しいという。わたしも早速書と思う。


徳先生とは 中国共産党の初代書記長が行った言葉で デモクラシーとサイエンスが中国では必要と言った。この徳先生とはデモクラシーのこと。



FBへの投稿は下記です。

【香港の雨傘革命は、世代交代が最も大きな意義】2014/10/8
レイバーネットTV75号報告

雨のように降ってくる催涙弾を防ぐため、オキュパイ参加者たちが、傘をさして参加した。そこから名前が付けられた「雨傘革命」である。古い時代のインテリによる尻込みしている民主化運動を、若者が新たな運動として、実力行動に出た。それが大きな意義であると、雨傘太郎さんは語る。授業はボイコットするが、勉強はすると、呼びかけら応じた大人たちが、講師になってあちこちで学習会というか、講演会が行われたという。

彼らの要求は、一人一票の香港政府の責任者を選びたいというもの。1年をかけて協議してきたにもかかわらず、あらかじめセレクトされた政府寄りの人の中から選ぶという、非民主的な様式に対してNOと言っているのだ。
若者の行動力と、大人のサポートが、運動を発展させているという。
リーダーは、大学1年生。まだ17歳ではないかという。
う~ん、なんとも羨ましい。
「我が若き同胞よ! たちあがれ」と、つい言いたくなる。

レイバーネットTVの視聴アドレスは
http://www.labornetjp.org/tv

詳しい報告は、ブログに。

http://kasaharamayumi.blogspot.jp/2014/10/tv75.html

2014年10月3日金曜日

〈報告〉鶴彬の生地訪問 

     石川県かほく市の碑前祭に参加して(2014/9/14)


高松歴史公園内の鶴彬の句碑
枯芝よ団結をして春を待つ

鶴彬は(1909~1938)、第2次世界大戦中に投獄され、赤痢に感染して29歳の若さで手錠をベッドにくくりつけられたまま、病院のベッドで死んだ、プロレタリア川柳人である。また日本無産者芸術連盟の会員でもあった。

手と足をもいだ丸太にしてかえし      (1937年・28歳)
軍神の像の真下の失業者
地下にもぐって春へ春への導火線     (1935年・26歳)
貞操を為替に組んでふるさとへ
吸いに行く 姉を殺した綿くずを

など、どれもが鋭く息苦しくなる。

鶴彬の命日である9月14日に、石川県の彼の生地、かほく市高松で行われた碑前祭に参加した。同行者は、レイバーネット川柳班と「東京鶴彬顕彰会(鶴彬の終焉の地近くに、句碑を建てる)」、11月に鶴彬のお芝居を上演する俳優さんたちの10人である。

▼碑前祭

碑前祭の行われた高松歴史公園には、鶴彬の20句を超える句がロープに下げられ、句碑の前には遺影が置かれている。
鶴彬を顕彰する会会長 長谷久人さん挨拶
 碑に刻まれた句は、

枯れ芝よ団結をして春を待つ       (1936年・27 歳)

である。
 地元の鶴彬を顕彰する会会長に続き、親族代 表として甥の喜多義教さんの挨拶とすすむ。
 驚いたのは、市長の挨拶があったこと。

文明とは何骸骨のピラミッド
万歳とあげて行った手を大陸において来た                    (1937年・28歳)
屍のないニュース映画で勇ましい                          (1937年・28歳)

東京鶴彬顕彰会を代表して乱鬼龍さんの挨拶
こんな句を吐く人の碑前祭に、埼玉の「梅雨空に九条守れと女性デモ」という俳句が公民館報への掲載を拒まれるような右傾化していく自治体の多い時勢の中で、代読とはいえ、市長が言葉を寄せている。やはり、地元の名士として、誇りに思っているのだと勝手に思う。

しかし、あとで聞けば、市長の挨拶をもらえるようになったのは近年のことで、市民の合意がないとできないと言われていたそうだ。昨年から川柳を公募したり、小学4年生と中学2年生に、授業として川柳を作る指導をしたりして、少しずつ市民権を得てきたという。学校では、作文と違い、短い言葉で言いたいことを凝縮することが、国語の読解力につながり、全体の成績にも影響してきたと聞いた。



鶴彬の碑前祭は続く。公募した鶴彬川柳の大賞の発表が姪の城戸寿子さんからあった。


大賞
自衛権軍靴の響き近くなる  池永 龍生 


入選句

優秀賞、佳作が読み上げられた。
続いて、句碑に刻まれた句の、献吟が行われた。5名の地元吟詠会の朗々とした声が、汗ばむほどの秋の空に昇っていった。参会者による献花のあと、同時代のしかも同じ29歳で特高によって殺された小林多喜二の映画『時代を撃て・多喜二』が上映された。古い映画だが、素晴らしいもので、見ているうちに、名前も似ているし(鶴彬の本名は、喜多一二)、二人の生涯がダブってしまい、頭の中がごちゃごちゃになったのには、困った。



▼生家跡訪問・交流会

生家跡の句碑
おもてなしを受ける
すぐ近くの生家跡を尋ねる。現在は喜多義教さんが住んでいらっしゃり、玄関脇には、母を詠んだ句碑がある。

可憐なる母は私を生みました      (1925年・16歳) 

とある。
「可憐なる」と言う言葉に、塊が喉につっかえる感じがしたのは、なぜなのか。 早くに父を亡くし、母の再婚で8歳できょうだいとともに伯父に引き取られた彼の気持ちを思う。新聞にデビューした15歳の時の3句の中に、母を読んだ、このようなものもある。

皺に宿る淋しい影よ母よ  (1924年・15歳)






















資料展で 姪の城戸寿子さんに説明を受ける



















この後行われた交流会は、地元の鶴彬を顕彰する会と11月に上演する鶴彬のお芝居の役者さんと私たち、レイバーネット川柳斑で和やかのうちに行われた。会場は、その日にあわせて開会した鶴彬資料展。展示内容は、ほとんどコピーだが、短冊や家族の写真など、1週間で終わってしまうのには忍びない充実した内容の展示だった。



 宿への道すがら、そぞろ歩いていると、門前に明かりの灯るところが。それが、もうひとつの句碑

胎内の動き知るころ骨がつき      (1938年・29歳)
 
のある浄専寺だった。


 
浄専寺の句碑
浄専寺の万燈会


浄専寺の万燈会

この句は、1938年11月に『川柳人』第281号に掲載された遺作である。その数ヵ月後(その年の12月とも年が明けてからとも言われている)永久の旅路についたのである。
その明かりは、8月のお盆の行事、万燈会のミニチュアを用意してくださっていたのだ。私たちもまだ灯っていない灯をともし、境内に現れた「和」という文字などを楽しむ。

▼金沢市内で遺品に触れ卯辰山の句碑を見る

 翌朝、金沢市内の石川近代文学館を訪ね、鶴彬の直筆葉書や写真などの遺品を見せていただく。ほとんど遺品のない中、川柳仲間(?)の渡辺尺蠼が保存していた鶴彬の手紙類が、鶴彬の温もりを感じさせた。就職の斡旋依頼だったり、生活苦の訴えや、寄稿の礼状など、彼の生活が、手に取るようにわかるものだった。

石川四高記念文化交流館・直筆葉書に見入る鶴彬のお芝居のキャストたち


そのあと、鶴彬が入隊した第九師団金沢歩兵第七連隊のあった金沢城址をめぐり、最後にもうひとつの句碑のある卯辰山公園に行く。


第九師団金沢歩兵第七連隊のあった金沢城址

全く道標もなく、わかりにくいところだったが、緑に囲まれて私たちを待っていた。刻まれた句は、

暁を抱いて闇にいる蕾    (1936年・27歳)


卯辰山の句碑の前で

蕾が抱く暁は、希望なのか絶望なのか、憲法の解釈を変えて、戦争の出来る国にしようとしている国で咲く花はなんなのだろう。


 2日にわたり、鶴彬を尋ね歩くうちに、文字でしかなかった鶴彬が、世の中の不平等を正したいとの思いで赤い血潮をたぎらせていた実在の人として、私の中に入り込んできたのだった。

 碑前祭を主催した鶴彬を顕彰する会のメンバーの中に、自民党や民社党、共産党の方々と、もちろん支持党を明言なさらない方など、超党派のあつまりであることも、鶴彬というプロレタリア文芸人を、地元の誇りとしていることが伝わった。が、しかし……今後もしっかりと鶴彬を守っていかなければならないと思ったのも、危機感を持っているからだろう。
                                              笠原眞弓

はじめまして

初めてブログをします。よろしくお願いいたします。

今日から、ブログを始めます。手当たり次第に書きます。