2015年4月14日火曜日

映画:『沖縄 うりずんの雨』 監督:ジャン ・ユンカーマン2015/6/20公開



なんとなく、降りそうでふらない午後、出来たてホヤホヤの湯気の立つ映画を観た。ジャン・ユンカーマンが監督だ。ちょうど沖縄の「うりずん」の季節だという。今日のように、冬が終わって大地が潤い、芽吹き始める。そんなタイトルの映画「沖縄 うりずんの雨」。
沖縄・渡嘉敷島の歌人は「うりずんの 雨は血の雨 涙雨 礎の魂 呼び起こす雨」(小みねもと子)と詠む。美しいことがはじまりそうなタイトルに込めらた不屈の人々の思いが、その湿った空気と共に深く染みわたり、滴る怒りとなって天に突き刺さる。
2時間28分の映画は、4部に別れている。1部から「沖縄戦」「占領」とあり、「凌辱」「明日へ」と続く。今の激しい闘いのみに焦点を当ててはいない。長い歴史の中で沖縄の置かている今の状況とはなんなのかを示している。

映画は、ペールー提督の18535月の沖縄上陸からはじまる。その時のペールーは、浦賀入港(同年7月8日)に備え、首里城を攻撃したり、物資を調達したりしている。つまり、思うがままに振る舞えるように、占領したといってもいい。それは、今の米軍(アメリカ)の姿勢と同じ。なぜここからはじまったかも頷ける。今の激しい闘いのみに焦点を当ててはいない。近代から現在にいたる長い歴史の中で沖縄の置かれている今の状況とはなんなのかを示している。

米兵の沖縄上陸戦

沖縄戦が、米軍側また日本側の映像と元兵士によって語られる。悲惨を極めた沖縄戦の戦闘場面の映像は何度か見ているし、元日本兵の話も聞いているが、新しい感じもする。それは、新たに発見された米軍側の記録映像も使われていたからかもしない。機関銃(戦争用語は全くわからないので、違うかもしない)は、必ず1台ではなくて3台できた。だから、どの方角からくるか分からなかった。洞窟もいたるところにあり、思いがけないところから日本軍が撃ってきたと。
もちろん、沖縄の人たちのガマのはなし、降伏と自決との逡巡、自決した人たちのへの思いなども語られる。
私はまだ若い頃、チビチリガマへ行ったことを思い出していた。あの時の戦績を巡る旅は、沖縄戦をリアルに考えられるようになるスイッチだった。まだお若い知花昌一さんが案内してくださった。ガマの床土が、よく使い込まれた三和土(たたき)のように黒光りしていたのが、忘れられない。亡くなった方の血や脂がしみたのだという。映画でもちらっと写っていてた洞窟に残された日用品が、私たちを打ちのめした。みんなヒソヒソ声で、無口になった。知花さんは、掘れば遺骨が出てくるかもしないから、掘ってもいいですよといったが、だれも手が出なかった。出しようがなかったというべきか。みんな受け止めかねていたのだから。
映画は、それら無数の洞窟から助けられ、あるいは撃ったり、撃たれたりしたようすが語られる。静かな語り口で話す元米兵に、手柄話的影は微塵もない。


12歳の少女の事件が

今日の沖縄闘争のきっかけ



戦後の沖縄は、主権を奪われ、日本本土からも見捨てられて植民地化していく。

日本へ行く兵士に先輩兵士は、事もあろうに沖縄は我らを歓迎しているという間違った情報が伝えられているという。それを真に受けて若い兵士の中には、軽い気持ちで女性に手を出す人も出てくる。あちこちで起こる事件にならないレイプ事件。コップの水があふれ出たのは、12歳の少女に対する事件だった。
この事件と、琉球大学へのヘリコプター墜落事件、それに絡む米軍の対応は、沖縄の人々の中に、大きな鉛の塊のように沈み、今に続く基地反対運動のエネルギーの枯れない源になったと言える。その大きなうねりの中で、これまで米国の兵士は「事件」を起こしても、日本で服役をしたことはなかったが、今回は違った。彼らは日本の裁判所で裁か、6年から7年の懲役刑になって日本の刑務所に収監された。事件に関与した3人の米兵は、それぞれ刑期を終えて帰国している。
その3人にインタビューを試みる。一人はすでに他界し、主犯の一人は拒否する。インタビューを受けた元米兵は、未だに職を転々としていて事件も起こしている。その彼が、なんであのようなことをしたのかと素直に悔やみ、決して許されないだろうと。彼の更生は、このインタビューからはじまったと思えるものだった。


アメリカ市民との共闘は

アメリカ本国では、軍隊内での女性兵士たちへのセクハラが大きく取り上げられるようになった。本人や家族の証言が続く中で、この膠着状態の沖縄の基地撤去の問題も、同じ被害者として共闘出来ると思えた。
それは、「178の若者が行く戦争」と言うところでも然り。沖縄を撮り続け、米兵の中にある人種差別を知り、そこに沖縄と日本、日本とアメリカの差別を重ねる写真家の石川真生さんの経験からも然りだろう。

基地のフェンスに、メッセージを書く人たちがいた。プラスチックの紐を結び、カラーの粘着テープを貼っていく。その手際のよさ。「綺麗でしょう。なんできたないと言うのかしら」と。その手際のよさと言葉の意味は、あとになってわかる。基地をなんとかしたい人たちだけが沖縄にいるわけではないと。そのことも私たちは、忘れてはならないと肝に銘じた。

基地のフェンスに、メッセージを書く人たちがいた。プラスチックの紐を結び、カラーの粘着テープを貼っていく。その手際のよさ。「綺麗でしょう。なんできたないと言うのかしら」と。その手際のよさと言葉の意味は、あとになってわかる。基地排除の人たちだけが沖縄にいるわけではないと。そのことも私たちは、忘れてはならないと肝に銘じた。

そんなことを発見しながら、2時間半あまりが過ぎていった。
ジャン・ユーカーマン監督は、沖縄に駐留した経験がある。そのとき、沖縄の人の「不屈の精神」に触れ、感銘を受けたという。その体験が浄化され、ここに再現された観がした。欲を言えば、もう少し「なぜこんなにこじれたのか」という、今の沖縄を突っ込んで欲しかった。そこが大問題なのだから。

この映画は、70年目の沖縄慰霊の日に合わせて620日に東京・岩波ホール、沖縄・桜坂劇場ほかにて公開される。
2015-4-13
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シグロ30周年長編ドキュメンタリー映画
2
時間28分 2015年シグロ作品
ジャン・ユンカーマン監督
企画・製作:山上徹二郎 製作:前澤哲爾、前澤眞理子
撮影:加藤孝信、東谷麗奈 整音:若林大記 音楽:小室等
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